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新卒6年目の独り言.(6年目が始まりました.)

〇私立文系は量産型である!?根拠となるデータと就活の思い出話

こんばんは。

明日から在宅勤務が始まります。なんとなく節目な気がしています。

4月は新生活の季節。僕も5年前は新入社員でした。

正直、はじめは研修ばかりであんまり学生気分が抜けませんでした。

毎日毎日、仕事で使う商品の勉強をさせられて飽きていました。

また、サラリーマンとして働くことはなんだか平凡だなとも思っていました。

私立文系の僕はなにかの専門分野に詳しいといった強みもなく、まさに平凡でした。

ちなみに、日本の大学生の中で

私立文系:国立文系:私立理系:国立理系=51.4%:9.7%:26.3%:12.6%

上記の割合で存在しており、日本の就活戦線の中でまさに一番被るポジションに自分がいたことは当時は全く知りませんでした。(文部科学省作成『学校基本調査』平成29年(2017年)設置別の関連学科別学部学生数より引用)

それでも何かになりたいとずっと思っていました。

自分は何かであると信じて、強がったり、できるふりをしていたなと思います。

そんな自分が何者でもないって気づいた就職活動。

4月や1月って節目だな気づいた時にはもう始まっていて、計画や目標を立てるのがなんだかんだ月の終わり際になります。

そんな僕が今日は自分の就職活動を思い出しました。

ちよさく.

〇断言できない癖を治したいけど、治さなくていい気がしてきた。

こんばんは。

今日は自分のある性格について、思い出しました。

それは、「断定することが苦手」であること。

その理由を考えてみたので忘れないうちに書いておく。

 

Twitterで就職活動でのWEBテストの替え玉受験をした方がいいか?ということで議論になっていた。

双方の意見があり、Aさんは「みんなやっていることだから、むしろやらないと負ける。うそをつくことが悪いのではなく、嘘つきが得をする就活の仕組みを作った大人が悪い。決して、替え玉受験が是だとは思わないが、正直にやれと学生にいうのはきれいごとだ。」

一方、Bさんは「結局、入社してから困るのが本人。」みたいな議論だった。

 

僕はBさんよりの考え方。

でもどっちの考え方かより、2人とも就活で戸惑う学生に対して断言できることに驚いた。

 

僕は人から相談を持ち掛けられたらいつも困る。困るっていうより悩むって感じ。

その理由は自分と悩んでいる人は、もちろん他人であり、考え方も違うし、何を是とするかが変わってくるからだ。

 

その時に意識していることがいくつかある。

・自分が経験した話しかしないこと。

・そもそも解決しようと思っているのかをはじめに聞くこと。(そもそも聞いてほしいだけみたいな人もいる。)

・その人の悩んでいる背景や理由を聞けてないことがおおいから詳しく聞くようにしている。

 

そんなけ細心の注意を払ってもうまく回答できないことも多い。

自分の回答に自信がないから、この頃は相手の欲しそうな回答を投げるようにしていたりする。その瞬間は喜ばれるけど、相談してくれた人からしたら、自分が相談を受けなくてもよかったなあなんて思う。そもそも自分じゃないといけないことなんてそうそうないと思うんだけど。

きっと、そもそも解決できるって思っていることが傲慢だし、うまい回答かどうかは相手が決めることだから自分で判断しないことが重要な気がする。

 

そんな自己肯定感低めだなあなんて思った投稿でした。そもそも断言なんてしなくていいのかも。

おやすみなさい。またあした。

ちよさく.

〇「やりたいこと探し病」の就活中の当時の自分に伝えたい

こんばんは。一週間お疲れさまでした。

今日は就活の時に抱いていた、「やりたいこと探し」について書きたいと思う。

就活では面接やエントリーシートで頻繁に「やりたいことは何ですか?」と聞かれた。

就活前半では、無理やりその会社でできそうなことを作って話していた。たとえば、地域活性化とか人と向き合いたいとか。当時は当時なりに本気で思っていた。でも途中からこれ本当にやりたいことなんかなあって疑問に思うこともあった。

でも周りの就活生もそれっぽいことをいうので、やりたいことがないのはまずいという焦りの気持ちが大きくなった。でも途中からはやりたいことなんてないことにはっきりと気づき、自分の感覚がマヒしていることに怖さを感じたことを覚えている。

 

働き出してから気づいた「やりたいこと」

まずはじめに、そもそもやりたいことなんて「なくていい」んだと気づいた。

働き出してからやりたいことよりもやらなくてはいけないことが仕事だったから。

そんな特にやりたいことではないこと=仕事の中で、どうやってそこそこモチベーションを保ちながらやっていくか。それが社会人になってからのぶつかった壁だった。

その中で気づいたことは、改めて僕にやりたいことは、なかったこと。

やりたいことよりもどういうやり方をするかを大事にしたい気持ちが強いこと。そのやり方が数ある選択肢から選ばれた基準の優先順位に共感できるかどうか。そんなことが大事だと気が付いた。

僕が大事にしたかったことはやりたいことではなく、やり方にこだわりを持てるかどうかだった。

正直、決められた中で最高の成果を出すために非効率なやり方は淘汰される。自分のやり方に固執していては、進歩しないことも事実。そんなこだわりと受容とのはざまの中でも自分が心地よく仕事するために工夫していることがある。

1.自分が選択するやり方の背景と理由を説明できること。たとえば、非効率だがこうすることで副次的な効果もあるなど。指示があったやり方を試してみてから。説明するときは目的と手段、事実と感情を分けて説明する。

2.社内で話を通しやすいように日ごろから成果を上げておくこと。譲れるところは譲り、ここは譲れないという部分だけ普段の成果を盾に主張する。日ごろから反発しているとまた反発しているヤツが何か言っていると捉えられ、内容が相手に届かなくなる。

3.気が進まない仕事を任されても、やがて「やらざる得ないこと」が早めに回ってきたと考えること。なんでも経験だととらえ、失敗したら失敗の理由を考え失敗のまま放置しないこと。

そんな感じでやってたら、おおおそ今のところ大きく嫌な思いもせずになんとかやってこれている。一番は周りに恵まれているんだと思うけど。

 

このこと、就活中の当時の自分に届けたいな。

大事なのは「こと」ではなく、「どういう状態・働き方」だよって。

おやすみなさい。

 

ちよさく.

 

○働き出してから成長を考えてみた。こうだったらいいのにな、に近づきたい。

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このごろなんだか焦っている。
もっとレベルアップしたい。何がどうなったらレベルアップできるのかよくわかっていない。
そう気づけてそれを言葉にしようとしている今も、できなかった昨日に比べたらほんの少し向かいたい方向に進んでいる気がする。

 

レベルアップってなんやろ?→「できないことができるようになること」=手段

就活の時に振り回された魔法の言葉「成長」。
これにまた数年経って惑わされかけている気がします。
学生時代と比べて変わったのは、成長の定義を考えるようになったこと。
例えば、「前に進むこと」「上に伸びている感じ」「苦手を特に変えること」とかいろいろあるんやろけどなんとなく行きたい方向(目指す理想像)があってそっち方向に足を動かすイメージ。
今の自分の成長の定義は
自分のなりたい自分に近づくため(目的)に、その差を埋める行動(手段)をした結果。
つまり、「できないことができるようになること」
でも得意になる必要はない。苦手意識がなくなるくらい。

 

どうなりたいとかわからない。→もっと自分ができたらみんなうれしいだろうな。

正直、就活の時と同様、どうなりたいとかいまだによくわかっていない。
僕は学生の時と変わらず、ゴールから逆算して今の行動を決めるというのが苦手みたいだ。だから当時、成長っていうワードに心が動かなかったんだと思う。
なりたい自分(目的)がない自分にとって、成長するのは方向性がわからなかったからだと思う。
でも働き出して、もっと自分にスキルがあったら、もっと目の前の人に喜んでもらえたのになあ。っていうシーンが日々ある。
そういう時にもっとできるようになりたいと思う。
就活生の相談にのっているときに、話を引き出したい。
→もっと質問の幅を持ちたい。質問のレパートリーを増やしたい。
サークルの苦労話を聞いているときに、たくさん話してくれるけど文章がぐちゃぐちゃ。
→整理する力。ロジカルシンキングに強くなりたい。
社内の資料整理のときに、すぐ資料が出てこない。
→エクセルをもっと使いこなしたい。
自己紹介をするときに、的確に相手に伝えたい自分を伝えられるようになりたい。
→話し方、声の使い方、姿勢を勉強したい。
そんな風に考えると、もっとストレスフリーに生きられる気がする。
得意といわなくても、その行動をするときにストレスを感じない程度にはなりたい。
ある程度やりこんだらきっとむしろその力を使いたくなるに違いない。

 

そんなことを感じた時間でした。
今年で26。自分のことが自分で好きだと思える30を目指して。

 

ちよさく.

○相談に対して断言できない。

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相談してもらえるのはうれしい。でもちょっと困っていたことがあった。そんな話。

 

このごろ、後輩から相談を受けることがある。就職先とか就活のやり方とか。

毎回、引っかかるのは自分の断言できないこと。絶対、こうしたらいいよ!とかこうすべきだよ!が言えない。

絶対なんてないと思うから。

僕のこれがいい。があなたのベストにならないかもしれないし、自分のアドバイスでその人が不幸になってしまうと思うと怖い。どの選択肢をとってもどんな結果になってもそこから得られることは必ずあると思う。というか、活かして前に進んでいかないと生き残れないと思ってしまう。

そんな理由から、極論どっちを選んでもいいと思ってしまう。そういう考えにこの頃変わってきた。やったらそもそも断言でいないのは問題ではないのでは?ってところにいきついた。

そもそも断言しようなんて、相談してきた人にカッコつけたいって気持ちの表れやったのかもと思うと、恥ずかしい 笑

もっとそもそも、意外と相談してきた人にとっては僕がどんなアドバイスしようともそれを真に受けないかもしれないっていろんな可能性が浮かんできた今日この頃。

ちょっとすっきりしてきた。上賀茂神社のおかげかな。笑

 

ちよさく

○意味も分からず使っていた就活用語に実感がわいてきた。「相手によりそう」「周りを巻き込む力」

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久しぶり。この頃思うこと「できるだけ」って大事だなって思う。

学生の頃は正解か不正解どちらかしかなくて、0点か100点やった。でも社会人になってどっちかだけじゃないことが多いことを知った。とってもグレーゾーンで白黒つけられないことが多いということを。

今まではどっちかはっきりしない感じにイライラしたり、納得できないこともあったけど少しずつそんな中だからこそ、どうしていくのが自分として好きなのか考える余裕が出てきた。それは「あきらめずに、欲しい結果に向かって努力をし続けること」。文章にしてみると、言ってることは学生の時と何も変わらないように見える。

お客様対応でも無理な要望はある。それに対して 無理です で突っぱねるだけではなく、少しでもそれに沿うように努力することが大切なんだと気が付いた。お客様側でもそのような姿勢を見ることで幾分か折れてくれると思う。もし折れてくれなくても、自分の中の納得感は大きく異なる。

与えられた仕事に対して100%やりきるのがなかなか難しい。そりゃ、できるに越したことはないがすぐにはできない。でもそんな中でもできるようになるためにあきらめずに努力し続ける姿勢を見せることで周りも助ける気持ちになる。

今まで意味も分からずに使っていた「相手によりそう」ってこういうことなんじゃないかと思う今日この頃。「周りを巻き込む」ってこれの積み重ねなんじゃないだろうか。

 

それはそうと、久々に任侠ヘルパー見た。面白かった。

ちよさく。

○久々の考える時間~ゆとりが悟る 笑~

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社会人始まってから圧倒的に足りていないのは「考える時間」。
やらなきゃいけないこと(与えられること)がたくさんありすぎて自分から疑問に思ったことを考えている時間がありません。(時間は作るものなんてツッコミは横に置いといて 笑)

そんなかでもあれ?って引っかかったことやなんで?ってなったことをメモする習慣をつけていました。何でもすぐ忘れてしまう自分には必要な習慣です。そのメモをiPhoneの整理ついでに見ていたら思い出したことがたくさんありました。GW最終日少しそれを考えてみます。

自分の人生にとって何が重要なのか?

就活のころからずーと疑問に思っていました。君はなんの仕事をしたいの?何を成し遂げたいの?と聞かれることがたくさんありました。正直、毎回のように作られた答えを伝えていました。しかし、社会人になってそんな機会は減っています。その分、カッコつけず自分の思いと向き合うことができています。友達のFacebookを見ていると何をするか?よりどう生きるか?について重要視したい人間つてかいてありました。まさにこれだ‼‼‼ってなりました。
僕は成し遂げたいことは正直ない。という答えになりました。というのも僕は「ゆとりを持った自分」になりたい。というのが現状の解答です。自分の内面と向き合う時間を十分にとれるそんな人生にしたいと思う。精神的な自分とのつながりみたいなものかな。

ゴール:精神的な充足感を持った自分。自分の感情に気づける生き方。
手段 :ゆとりをもつ。自分の内面と向き合う時間を持つ。
具体策:毎日の感情日記。

ここまで書いてきたけど、自分を客観視できずに夢中で生きている時間も好き。恋とかね笑。感情に振り回されるのも一興。でも人生の大半はゆとりを持って感情のまま生きている時間の振り返りに充てたい。そうすることで自分で自分を承認してあげることができるから。


最高の自分で挑む

 

ちよさく.