◯自分の思っているグダグダを文章にすること
こんばんは。
2021年がスタートしました。書きながら、いつものやつだなって。
何かのスタートの時だけ書いて、三日坊主で終わるやつ。
ここ数年ずっとそんな感じで、自主的にやり始めたことで今でも継続できていることってカメラぐらいしかないんじゃないかなってお思ったり。
だから今やってる文章を書くことも、1/3にはもう書かなくなっているかも。
どこかの偉い人が言ってた、やる気がないからやらないって人は、やる気が出ない時点ですでに始めてしまえば解決するって。たしかにそうなんだけど、やり始めるやる気が出ないんだよなって思ったり。
まあ、でも今年はちょっと続くかもって思っている自分もいたりする。
今まで漠然とブログ毎日書くぞ!みたいな気持ちで書こうとしていた。
今は自分の中で文章を書くことは
・自分の気持ちを言葉として外側に出すこと
・自分を表現をすること
・自分に今どんなこと思っている?って話を聞いてあげること
みたいな定義が自分のなかにできてきた。
まあそんなこんなで自分の話を自分に聞いてもらうツールなのかもって思いながら今年も文章を書くを楽しみたいな。
ほら、気づけば500文字。まあ字数なんてどうでもいいけどさあ。
今年もよろしくお願いします。
◯SPECを見て感じたこと【ネタバレ含む】
こんばんは。
SPEC劇場版見終わりました。
面白かったー!ドラマ版から劇場版にかけて、一気にスケールが大きくなりました。
見終わった後でこんなにも考察、解説を読みたくなった映画は他にはなかったかも。
ドラマ版では、単に凡人にはできないこと(未来が予言できたり、相手が考えていることがわかったり)ができるSPECフォルダと呼ばれる人がいることがわかる。当時はSPECほしいなあとか思って見ていた。
映画版では、地球における人類は2種類いることが明かされる。SPECフォルダは旧人類、凡人が新人類。SPECフォルダの主張は、環境を壊して自分たちの欲望のまま生きている凡人たちが地球を壊していることは大きな問題でありリセットしなければいけない。しかし、リセットの引き金はあくまで凡人たちに旧人類が試練を与え、それを平和的に乗り越えられるかにかかっている。そのため旧人類が凡人を破滅させたわけではない。凡人の各国の偉い人がSPECフォルダを見下した発言や態度は滑稽だった。
そんな中で当麻と瀬文はどうするのか。衝撃のラスト。
映画を見終わったら、SPECを持ちたいという感情は消えていた。
そもそもSPECは持ちたいと思って持つのではなく強い思いがSPECを生むと感じたから。もし自分にSPECがあればもっと簡単にできることも増えるはず。しかしできないからこそ、できるまでの努力の過程が楽しい。SPECはそんな人生のささやかな楽しみを奪ってしまうものでもあるなあと思った。
SPECの世界観はそんな小さいことは問題にはなっていないけれど、
海野先生の「才能は自分が望むものと一致しない」やできないことは豊かということは少し自身の考えと共通しているなと感じた。
また、御前会議やファティマ第三の預言や並行世界などSPECの物語にとどまらない歴史の教科書に出てくるような用語もたびたび登場し、ますます解説を読みたくなった。
放送当時に見た時と今では抱いた感想も変わっていた。
これだから以前見た作品の見返しはやめられない。
堤幸彦監督にハマりそう。
おやすみなさい。
ちよさく.
◯SPECみてきます!
こんばんは。
SPEC見ていきますー!
◯総理大臣になりたかったぼくが周りと比較することをやめた
こんばんは。
今日はさぼらず、書きます。
どうやら緊急事態宣言も一部の県が5/15ぐらいには解除するとのこと。
決定前に情報の先出が多くて世論の動きを見ているのかなあ。
政治っていろんな人に遠慮しなくちゃいけないものみたいで大変そうだなあ。
そういえば、昔は総理大臣になりたいって思った時期もあったなあ。
理由はなんだかかっこよさそうで、日本で一番エライ人だと思っていたから。
スクールカーストにとてもこだわりを持っていた僕が興味を持つのは今ではよく理解できる。
でも大人になって俗にいうリーダーってとても大変だなと感じます。
自分のどうしたい?やどうすべき?の心の声を整理しながら、それを周りから押しつぶされないようにするだけでも大変なのに。
学生時代のスクールカーストへのこだわりを捨てたら、周りと比較することが減り自分と対話できるようになった。
そんなありのままな自分でいることがこのごろ楽しい。
そういった自分を大切にしてくれる隣の人を大切にする。
おやすみなさい。
ちよさく.